ある日我が家に迷い込んできたかわいい文鳥は、近くの家から逃げ出したらしく
返さないといけないね~と話していたのですが、
よく慣れた手乗り文鳥で、私たち姉妹は夢中になってしまって
よく遊んでいました。
でも、子どもって残酷だなぁと思うのですが、ある時文鳥を
三人姉妹で追っかけまわしているうちに、踏んづけてしまったのです。
それも間違って、というよりは、半分故意に。
自分の方が圧倒的に大きく、力のある存在だということを
確かめたかったのでしょうか……、好奇心なのでしょうか……。
その時の狂気じみた自分を思い出したくなくて、
感情は凍り付かせてしまい、とっさにこう思いました。
「元の飼い主さんにどう言えばいいんだろう~?!」
その時の、感情をすり替えたような…、変な感じは、よく覚えていました。
可愛い文鳥が死んでしまって悲しいとか、ショックだとか
そういった感情は一切通り抜けて、世間体の方を気にしていた子どもの私。
「これって、おかしいよな…?」
そう思いながら当時見えてなかった周りの状況の中に
真実が隠されていないかと、丁寧に見ていったとき、
やたら腎臓が反応しておりまして…。汗
その腎臓にブロックされている感情を感じようと、呼吸を送っていると
罰される恐れがあるんじゃないかと、うっすら感じ、
殺してしまったからには、それ相応の罰が来るだろうと信じていたことを
重痛い腎臓をさすりながら、必死で感じ続けていたら、ふと
「そういえば、母からは何のお咎めもなかったんだよね…。」と思い出したのです。
そう…、さぞかし恐ろしい処罰があるだろうと思っていたら
母には何にも言われなかったので、肩透かしだったのです。
(私たちが門限破ったらそらおそろしいお仕置きがあったのに!(笑))
この時感じ切れてない感情がなにかあるのですが、
それがなかなか私には難しくてですね…
ずっと、セラピストさんにホールドしてもらっていましたが、
なかなか奥の感情には入っていけませんでした。
ボヘミアンラプソディのサビの歌詞で特に私の心に響いたのは
「ママ、僕は死にたくない。時々僕なんか生まれてこなきゃよかったと思うんだ。」
というところだったのですが、
どうもそれが、この傷とリンクしていたようなのです。
「命をうばった私なんか、生きてる価値はない。
然るべき罰を受け、罪を償うべきだ。」
そして不思議なことに、強風の事故の時の感覚も同時に思い起こされて
「あれ…?なんか、この感覚、事故の時と似てる…?
あの時も、私『罰を受けないと終わらない』とか思ってたから
次から次へと車をぶつけてたんだわ、事故の後にも……(大汗)!」
と、謎の現象が意外なところで紐解けました。
(ここで紹介しているワークはキャラクトロジー心理学のレッスンで学べます)