皆さん、こんにちは!
今日はトルコ語はどこから決ま下の歴史を教えます。興味がある人たち、どうぞ!
*初めに*
「日本人とトルコ人は同じ民族」などと言おうものなら、忽ち「ウッソー!」と反撃されそうだが、先ずは下の図を見ていただきたい。
ずーっと昔の話(何時頃とは訊かないで!)、モンゴル高原(興安嶺)の北側にはモンゴル人が住んでいた。東にはツングース。西には突厥と呼ばれる民族が住んでいた。ここで、「突厥」を我々は音読みして「トッケツ」と発音するが、元々は「チュルク」という音を漢字で「突厥」と表したことに注意を要する。そして、日本語で「トルコ人」、英語で "Turkish" と呼んでいる民族は、トルコでは "Turk"(チュルク)と呼ばれていることも付け加えておく。この突厥は後に西に移動して最後はアナトリア(現在のトルコ東部)に定住することになる。
さて、東側に住んでいたツングース人だが、彼らは後に東に移動し、朝鮮から日本に入ったとされている。これら3つの民族はモンゴル高原を中心に離合・集散をくりかえしていた。だから、かれらの共通語とういうものが存在したはずだ。その共通語がアルタイ語と呼ばれるもので、現在では存在しないが、日本語、朝鮮語、モンゴル語、トルコ語の4つの言語がアルタイ語系であるとされる根拠は此処にある。
以上がトルコ語学習を始めるに当たっての予備知識である。つまり、トルコ語は日本語と同じアルタイ語に属しているので、私たちにとっては決して難しくないということを念頭において貰いたい。
1.トルコ語にも助詞がある
日本語の特徴の一つは名詞の後につく「助詞」である。例えば、「神戸で生まれた」「神戸へ行く」という表現の「で」とか「へ」が助詞だが、この使い方が難しくて欧米人は日本語がなかなか習得できないのだ。では、トルコ語で「神戸で」は何というか。実は、"Kobe-de"というのだ。ついでに、「神戸へ」は "Kobe-ye"という。それでは「大阪で」はどういうか。大阪の場合は "Osaka-de"ではなく、 "Osaka-da"という。つまり、オオサカの最後の「カ」の音(ア段)に引っ張られて "da"になるのだ。だから、「大阪へ」は "Osaka-ya"となる。同じく、「アンカラへ」は、"Ankara-ya"という要領だ。
日本語には子音で終わる言葉がないので "ye"とか "ya"ですむのだが、トルコ語には子音で終わる単語がたくさんある。Istanbul がそうだ。「イスタンブールへ」というのはどう言うか。"Istanbul"は最後が子音で終わるので、この場合は "a"をつけて "Istanbul-a"(イスタンブラ) という。昔、「ウシュクダーラ・ギデリケン」という歌が流行ったが、あの歌の題名を日本語では「ウシュクダラ」とされている。しかし、トルコにはウシュクダラという地名はない。あるのは、ウシュクダル(Usukudar)だ。それでは「ギデリケン」というのは何かというと、「来てみたら」ということだから、「ウシュクダーラ・ギデリケン」は「イスタンブラ」の例から判るように「ウシュクダルへ来てみたら」ということになる。
トルコを旅行すると、"Usukudar" はイスタンブールの隣町なので、この町の名前には必ずお目にかかる。そんなときは、団体旅行なら日本から一緒にきた妙齢のご婦人を見つけて、側に行き、「ウシュクダラ・ギデリケンという歌があったでしょう。あれは、このウシュクダルへ来てみたらと意味なんですよ。語尾がダラと変化するのはトルコ語の助詞なんですよ。」とウンチクをご披露すれば、あなたは忽ち見直されること請け合いだ。
このシリーズをツず来ます!また、トルコ語を簡単に覚えたい皆さん、ぜひレッスンに会いましょう!
Kolay Gelsin!