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Cafetalk Tutor's Column

Keisuke.H 讲师的专栏

I was a bocchi.㊳指揮者代理人、ケイスケ

2024年7月15日

実技科目の中で体育の他に音楽がダメだった。
ヤマハ音楽教室では歌を歌ったことしかない。
ピアノを習う前にサッと辞めたからだ。
当然、音楽で習う範囲のことしか出来ない。
楽譜を見たのも授業が初めてで、
ドの音から数えないと他の音が何なのかわからなかった。
 
歌は音程と拍数がわかればなんとかなった。
リコーダーは手先が器用なおかげで上手い方だった。
ピアニカは指の動かし方がわからないので苦手だった。
音楽のテストはさらに理解できなかった。
クラシックにも興味がなかったので、
誰が何を作曲したのか覚えるのが苦手だ。
楽譜もト音記号のときしか読めない。
音楽はたいていB評価だった。
 
合唱コンクールというイベントがあり、
音楽が大好きなハシモト先生は張り切っていた。
僕は歌うのはそんなに嫌いではなかったから、
練習で手を抜くことはなかった。
 
クラスで指揮者を決めることになり、
マツサカさんが立候補して見事決まった。
ハシモト先生はマツサカさんに厳しく指導した。
いつものように練習していた合唱コンクールの前日、
マツサカさんは指導に耐えきれなくなり、
指揮者を辞めると言って泣き出した。
ハシモト先生は溜め息を吐いていた。
 
『ハシモト先生のせいだ』
『マツサカさん、かわいそう』
みんな心の中でそう思っていた。
 
ハシモト先生は指揮者を違う人にやらせるしかなかった。
「ケイスケ、指揮者やりなさい」
僕は一番やりたくない役に指名された。
しかも、前日に。
吹奏楽部の誰かで良いじゃん、と思った。
抗議しても誰も他にやりたい人がいないし、
ハシモト先生も決定を取り下げる気がなかった。
指揮者は僕になった。
 
母に三拍子と四拍子の指揮の方法を聞いて、
夜にずっと練習してなんとかなった。
当日の記憶はあまりない。
特に怒られたり褒められたりしないから、
無難に役を全うできたのだろう。
 
僕は目立つのが大嫌いなんだ。
それなのにたった一回指名されたことで、
次の学年でも指揮者をやらなければいけなくなった。
なんて面倒なことを押し付けてくれたんだ。
僕に決まった明確な理由がないから、
今思い出しても理不尽な人選だったと思う。
「ハシモト、許さん!」

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