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Cafetalk Tutor's Column

Keisuke.H 讲师的专栏

I was a bocchi.㉟熾烈、ベンチ争奪戦

2024年7月12日

僕は運動全般が大嫌いだった。
 
50m走は10秒ちょうどの鈍足、
マラソンは脇腹が痛くなるので最下位。
握力は左右どちらも18kg。
二重跳びが一回も出来ない。
「女子にも負けるひ弱なケイスケ」
とバカにされた。
極めつけはスイミングスクールに行ってたのに、
全く泳げないのでクロールの記録は5m。
そんな僕だから好きなスポーツは特になかった。
 
運動会やマラソン大会は大嫌いだったが、
それさえ乗り切れば日常に戻るから、
特に練習や訓練をしなかった。
僕のポンコツ辞書に『努力』の文字はないのだ。
 
小学校3年間は帰宅部にして快適な放課後を楽しむつもりだったが、
なぜか5年生のときにサッカー部に入部した。
父に言われたからなのか、
友達が欲しかったからなのか、
理由がわからないけど僕はサッカー部に所属していた。
 
運動は大嫌いでサッカーなんてやったことがない。
オフサイドも何のことかわからない。
ただ、弱小サッカー部特有の空気が抜けたボールを追いかけていた。
三バカのマコトにルールを教えてもらった。
マコトは僕と同じ弱々な身体だったけど、
サッカーは上手かった。
三バカのもう一角のヤワタは運動神経抜群だったから、
いつも部活が楽しそうだった。
ヤワタは後輩の面倒見が良かった。
先輩にも後輩にも頼りにされている奴だった。
 
5年でサッカー未経験者がレギュラーになれるはずがない。
僕は試合に出ることを全く予想していなかった。
 
新人戦の試合前、顧問の先生は教室に部員を集めて選手を発表した。
静かな教室でフォワードから順番に名前を読み上げる。
その間誰も何も言わない。
みんなドキドキしているのだ。
この演出だけは毎回強豪校の雰囲気だった。
 
僕は圏外だから呼ばれなくても何の落胆もなかった。
しかし、ディフェンダーの補欠で呼ばれてしまった。
「ケイスケ」
「ハイ」
ハイと返事したものの何も準備していない。
呼ばれたことで逆に焦ってしまった。
ヤワタとマコトはレリュラー、
ショウゴは補欠、イシザキは呼ばれなかった。
イシザキは涙を堪えていた。
 
補欠、ベンチと言っても準備をしないといけない。
その日から父と試合に必要なものを買いに行った。
シューズ、ソックス、すね当て。
後輩が貸してくれると言ったが、
父が乗り気で新品を買いたかったようだ。
 
当日はぬかるんだグラウンドでドロドロになりながら試合をした。
出番が来てピッチに立ったが、特に活躍の場はなかった。
オロオロと行ったり来たりしているうちに試合は終わった。
それ以降、僕は試合の補欠に選ばれることはなかった。
僕より上手い後輩が沢山いたからだ。
 
急に熱が冷めてサッカー部は1年で辞めた。
それでも1年間続けたのが偉いと思う。
部員の殆どは6年生でもサッカーを継続していた。
一方、イシザキは野球部に寝返った。

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