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Cafetalk Tutor's Column

may 讲师的专栏

子どもの頃の夢…

周间主题: What did you want to become when you were a kid?

2022年6月27日

こんにちは。
毎日毎日暑いですが、溶けてませんか?

さて、今週のコラムのテーマは
子供の頃、何になりたかったですか?

今思えば、夢多き子どもでした。

まずは一番小さいときの記憶から
「お花屋さん」と言った子に対して「え!お花よりケーキ屋さんのほうがいい!だって…食べられるやん♡」と思っていました。なぜそんな発想になったかはわかりませんが、その頃から食いしん坊だったんですね。恥ずかしいことです笑

そして小学生3年生か4年生のとき
漫才ブームだったのか、休憩時間になるとクラスの友達と漫才らしきものを披露していました。そのときの文集には「○○ちゃんと漫才師になること!」と書いたんですが、できあがった文集を見たら、その友達は「獣医(じゅうい)さんになる」と現実的なことが書いてあって、ひとり恥ずかしい思いをしました。

中学生になると…
アニメが流行っていて、まわりは声優さんや漫画家になりたいという子が多かったように思います。私はいいな~と思いつつも、かなえたい夢には入らず、それよりも「物書き」になりたいと思っていました。作家さんとかエッセイストとか。編集の仕事にも憧れていました。ここでもまだまだ現実を見ていなかったのですよね…。

◆そして高校生…
当時のクラスは学年唯一の特別進学クラス。3年間クラスは変わらず、1年生から大学進学に向けての講座などがあるクラスでした。英語が好きだった私は言語に携わる仕事がしたい、とぼんやり思っていましたが、それがどんな仕事なのかはまったくイメージがつかず、面談では担任の先生(熱血!)を困らせてしまうような子でした。

それからすぐに運命の出会いをします。
学校帰りの図書館の一角で、あの雑誌に出会ってしまうのです。とはいえ、その雑誌の名前も何もかも覚えていないのが悔やまれますが、とにかく日本語教師の方のインタビューを読んで、「これだ!!!!!!!」と思ったのは事実です。

そこから私の夢は日本語教師一本。
当時、三重の片田舎では日本語教師の認知度はほぼなく、「あんた、英語もしゃべれんのに、外国の人に日本語教えるん?そんなんできるん?」などという母を説得し、父にもこれこれこういうことがやりたいからと熱弁し、ようやく日本語教育が学べる大学に行かせてもらえたというわけです。

そして大学4年生の12月、クリスマス前のこと(卒業まであと2か月とちょっと!)。
長野県内にある日本語学校から採用のご連絡をいただいたときは大学が決まったとき以上に喜びました。これ、採用していただいたからいいものの、もし採用されていなかったらどうなっていたんでしょう。実は私、そこしか受けていなかったんです。今思うと、危機感ゼロですね。恐ろしい。

そこから20年が過ぎました。
体力、視力、記憶力の低下は否めませんが、この仕事に対する情熱だけは消えること知らず。
職場を変え、形を変え、それでもこの仕事が続けていられることは幸せなことだと改めて思います。

皆さんの夢は何でしたか?
よろしければ、教えてくださいね♪

では、また!

may

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