こんにちは、Teikoです。
とってもあたたかい今年の春。
雪さえ降ることもある4月ですが、今年はほんとうに暖かく、鉢植えのバラがたくさんつぼみをつけて、日差しも明るく嬉しいこの頃です。
さて、今週のお題、「春の思い出」。
私が、バレエを始めたのは、18歳の春でした。
大阪の大学に進学した春のある日、可愛い白壁のバレエ教室の扉をノックしました。
正確には、白い小さなゲートの呼び出しボタンをおそるおそる押しました。
出てきたのは、ステテコ姿の背の高いロマンスグレーの男性。
「どうぞ」
と、ゲートを開いて奥の教室へ案内してくれます。
えっ!?・・・いいんですか?そちら下着ですが・・・
と不安に包まれながら扉を開けた彼について中へ入ると、
そこは夢に見た、ザ・バレエ教室でした!
可愛いアーチの形の高い窓☆
ぐるりと張られた鏡と備え付けの2本のレッスンバー☆
コーナーに置かれたピアノ☆
小さい頃、小学生の頃、十代の前半、習い事ができなかった私は、18になって、まるで不思議の国のアリスのように、オズの魔法使いのドロシーのように、ようやく夢の国へたどりついたのでした。笑
先ほどのステテコ姿の男性は、元東京バレエ団のプリンシパル、藤木俊彦先生その人でいらっしゃいました。
私が見たのはステテコなんかではもちろんなく、着心地の良さそうな白のコットンのレッスン用のストレッチパンツでした(*^-^*)
わたしは、その可愛いバレエスタジオで、バレエのいろはを教わりました。
右も左もわからない、お稽古事自体をほとんどしたことがなかった私を、ずっと年下の生徒さんたち、そして、お歳を召されてもなんと愛らしい笑顔の故松本ゆかり先生と、ダンスール・ノーブルの藤木先生が、やさしく導いてくださったのでした。
いまとなっては、ほんとうに、未熟者の私がどれほどのご迷惑をおかけしたことかと胸が苦しくなるようなことばかりです・・・。
ほんとうに、知らないことやうまくできないこと、恥ずかしいことばかりでした。
そんな私に、ある日、藤木先生が、
君の甲はすごいなぁ。綺麗な甲だなぁ。
と褒めてくださったことがありました。
甲というのは、足の甲のことです。
どれほど嬉しかったことでしょう!小さな、明るい光が、自分のつま先に光ったようでした。
それから、大学の卒業論文で忙しくなって、その小さなお教室を離れ、東京で就職をし、藤木先生が踊られた東京バレエ団の大きな広い広いスタジオではじめてレッスンを受けたのも春だったように思います。
目黒川の桜を電車から見ながらスタジオへ通い、まだ在籍されていた頃の溝下司朗先生にからかわれながら、首藤康之さんや斉藤友佳理さんのレッスンを目の当たりに見て練習し、どんなふうにしたら、ほんとうのテクニックを身につけ、感動を伝えられるようになるのだろう、と葛藤したりしました。
ペルミバレエアカデミーというロシアのバレエ学校が日本でクラシックバレエの教授法を教えると聞き、そこで学び始めたのも春。
私にとってそれは、目から鱗が落ちるような春でした!
どのように立ち、どのように曲げ、伸ばし、
ひとつひとつのポジションと動きがどのように組み立てられてバレエが成り立っているのか、
学ぶ順番、音楽の選び方、視線ひとつとしておろそかにはされないロシアの先生方の指導に、私たちクラスの誰もが夢中で聞き入りました。
そこで学ぶことができたのは、クラシックバレエの教授法だけではありませんでした。
キャラクターダンスと呼ばれる世界の民族舞踊を昇華したカリキュラム。
ヒストリカルダンスと呼ばれる、歴史的な舞踏のマナーとステップ。
幼い人たちに教えるときの心構え、体操、リトミック、音楽の選び方。
舞台の演出について、バレエの歴史、そしてそのメソッドが成立した国ロシアの言語、発音、キリル文字。
宇宙のようなバレエの世界
そのメソッドを頼りに、教えはじめた春。
小さなたくさんの生徒たちとの出会い。
「あなたのつくるアンシェヌマンは美しい」
と言ってもらったことは、この時期の忘れられない言葉です。
どれほど嬉しかったことでしょう。
こどもたちの賢明な瞳。
子どもたちは、ほんとうにひとりひとり個性が違っていました。
彼らとともに作り上げた作品は私の宝物です。
はじめて、パ・ド・ドゥを踊ったのも春でした。
「あなたはショピニアーナのワルツを踊ります」
と言われて、第1アラベスクを何百回も練習させられた春。
片言のロシア語しかわからない私の耳に、相手役のゲストダンサーがロシア人の私の先生に、
「Она прекрасна」
というのが聞こえて、家で辞書を繰り、その言葉を見つけたときの喜び。。。
思い出すと、バレエにまつわるたくさんの春の思い出があります。
バレエを通してこれまでに出逢った方々へたくさんの心からの感謝を今年の春にこめて♥