こんにちは、Teikoです。
気がつくと、もう春が来ていた、
みたいな感じのする、明るい午後です。
motivation、と関わりを持ちながら対極にあるのが
reputation、なのかなぁ、と思います。
レピュテーションをゴールに掲げると、目標は立てやすくなります。
自分を鼓舞するための効果的なアプローチの仕方でもあると思います。
ただ、私は、それは永続的で本質的な志向ではないと、今では感じます。
レピュテーションのために踊ると、それが表現に現われてきて、踊ることの本質から離れるからです。
1991年に亡くなった、オリガ・スペシフツェヴァという著名なバレリーナがいます。
彼女の写真は、もうひとりの偉大なバレリーナ、ナタリア・ベスメルトノヴァの写真や残されたビデオとともに、私がとても大切にしている動機です。
彼女たちの踊る様子からは、批評家の視線、観客の視線よりもっと別のものにその志向が向けられているように感じます。
それは、役の内面深くに向き合おうとする精神的な姿勢で、「スペシフツェヴァの踊りには常になにか宗教的な香りが漂った」とも言われているように、技巧を見せようとするよりも、その役の真実を表現しようとしたのでしょう。
真に迫った演技をするためには、もちろん高度なテクニックが必要で、彼女たちのテクニックはそれと目立たないほどに洗練されたうえで、彼女たちの表現の一手段として、演技の中に溶け込んでしまっています。
元ボリショイバレエ団のロシア人のバレエミストレスが、「スペシフツェヴァはなんでもじょうずでした」と日本語で教えてくれたことがあります。
スペシフツェヴァの人生は波乱に富んでいるので、近代バレエ史には必ず登場します。お時間があれば一度読んでみてください。彼女の果たした役割は大変大きく、ドラマティックでもドラスティックでもあります。
2008年に、ベスメルトノヴァが亡くなったという記事を読んだとき、私はしばらくの間黙ってその小さな四角いモノクロの写真を見つめていました。
ベスメルトノヴァは、現ボリショイバレエ団の偉大な振付家兼バレエマスターであるユーリ・ニコライヴィチ・グリゴローヴィチの奥方でもありました。
グリゴローヴィチがベスメルトノヴァのために振り付けた当時のビデオを見ると、その素晴らしさに息を呑みます。
私がバレエを愛するのは、それが自分の内面とつながって、ただ美しいと思えるから。と、スペシフツェヴァとベスメルトノヴァのモノクロの写真を見ながら再確認するのが、私のバレエにおけるモチベーションです。